山の本と写真展も残すところあと2日となりました。
毎日、毎日とても心地よく、森の中で深く呼吸をしているような展示の日々。
今日はmobloさんの持ってきてくれた本の中に隠れている、
とても好きな一説をお届けしようと思います。
結晶
私の中で、山は結晶する。
経験の重なりや、記憶や想い出とは恐らく別のところで、旧い山やついこのあいだの山が、
自分でも驚くほどの美しさで結晶することがある。
それは、いつの山もそうして残されている訳ではない。
どろんとした姿のままのことも勿論あって、想い出すたびに妙に辛くなるようなことだってある。
それなら、私の何かの努力が、この山の結晶に役立つのかと考えてはみるが、
どうも思いあたることがない。
それは努力だの、その山での意気込みだの、
まして天気の工合などに左右されることではなくて、
山自身が、私には気紛れとしか思えない仕方で、私の中に残る時に、
さまざまに結晶するらしい。
そのきっかけは、ひょっとすると、山を下りて来る時らしい。
山を去る時の私の気持ち次第で、
山に結晶の場をあたえるのではないかしら。
曇ることも、錆びつくこともない、屈折の極めて複雑な、
それがために何度も驚くような美しさを、
時たまちらっと見せてくれる結晶した山を、
私はやっぱり欲張って、沢山持ちたいと願う。
いま、一体そういうものを、どのくらい持っているか、
それは知らないけれど。
串田孫一/1957年6月
どうしてこんなに山に心をとらわれるのだろう。
きっとそれは、それぞれの心のなかで、きらり、きらり、、と結晶たちが
静かにひかり続けるからなのかもしれない。